これまで洗礼(バプテスマ)について書いてきました
誤解のないようにお伝えしたいのですが
水の洗礼が救いの条件であることに対して
否定をしていることであって、どうでもいいと思っているわけではありません。
イエス様も行われ、授けるように言われた弟子の条件であり
異邦人のの我々に使徒10:47でペテロが明言していることです。
前回に書きましたが、聖書は人類を3つに分類されてます。
ユダヤ人、サマリヤ人、異邦人です
救い(神との和解、罪の赦し)についてルカは使徒言行録において
2章でユダヤ人・8章でサマリヤ人・10章で異邦人と記載してあります
使徒の中で聖霊の登場は4回ですが内3回がこの場面です。救いの証としての登場です。
我々、異邦人がそのまま適用すべき箇所が
この使徒の10章ローマの百人隊長コルネリウスが救いを受けるところだと思います。
これまでごちゃごちゃ書いたことと裏腹に
神様の招きはとてもシンプルだと思わされます
簡単すぎて、難しく、謙虚にされます。
10章で神様はついに異邦人にも福音をつげてくださいました。
(おかげで、今の私たちがあります。)
ローマの百人隊長コルネリウスに招きがあり
ペトロが使わされ
福音が告げられ
聖霊の賜物がこの異邦人の上にも注がれた(救われた)
そして10:47にはっきりと水で洗礼と書かれています
救われたものが一体化としての象徴として水で洗礼をうけたといえます
この場面では地の果てのどこかでたまたま異邦人も救われました
たいしたことないですよと言うよりも
神の御計画によって、一員として招かれ一体化したことを
公に表す意味が強い水の洗礼だと思われます
当時のユダヤ社会の常識では考えられないことを
ペテロはイエス様から渡された鍵によって
おこないました。
それが大事件であったことがわかるように
11:1-18でペテロがこの異邦人に起こった救いの次第を
エルサレム教会に報告した内容が書かれております
言っています。
救いは福音の3要素を信じるだけ
それだけと私は信じます。