教会をカルト化させた事例は様々あるようですが
その根本にあたる初期のがん細胞の様な存在は
その教会がつくった、口伝律法であると
わたしは考えます。
例えば、東京キリストの教会では
マタイ6:33 神の国と神の義をまず第一に求めなさい
という聖句の”神の国”を”教会”と解釈しました
その為、教会を優先しないことは
神を優先しないことになりました
そして、教会は教会の行事すべてになり
すべての礼拝に参加すること
すべての集まりに参加すること
といったように口伝律法が生まれていきます
牧師はフルタイムスタッフなのでこのプレッシャーは
少ないわけですが
社会人の信徒は仕事をしながらなので大変です
あるとき、日曜日の礼拝の日に仕事がはいりそうになった時
その時には、仕事を入れるのか、強引に休んで礼拝に行くのか
決断しなければいけなくなります
信徒は自分で忖度し、礼拝を休むことは神をないがしろにすることだと
決断し、会社を強引に休むことを選ぶわけです
牧師は”すすめ”のつもりかもしれませんが
信徒にとっては決断を迫られる”口伝律法”なのです
(マタイ23:4の自分で負わないくびきを他人に負わせることになっています)
このような事例が素晴らしい信仰だとして、分かち合い会で持ち上げられると
他の信徒もそれがあるべき信仰だと思う訳です
更に忖度し、仕事を選ぶときは教会のスケジュールに
絶対従えるべき就職活動をしなければならいという
口伝律法がさらに生まれます
更に忖度し、仕事に忙しすぎる自分はキリストの弟子ではないと確信し
自発的に退職してしまいます
こうして真面目な信徒ほど、転職を繰り返していき
貯蓄ができず、時には健康保険や年金にまで支障をきたしてしまい
社会的破滅に向かってしまいます
脱カルト信者のカウンセラーの先生はカウンセリングを行う際は
ほとんどが無料で行うそうです
なぜなら、多くの脱カルト信者の方々(私が聞いたのはおもにエホバの証人)は
貯蓄が無く、アルバイト生活者が多いからだそうです
このように、口伝律法は悪影響が2倍になりながら
どんどん口伝律法は増え続けてカルト化へと導くことになります
しかし、マタイ6:33は聖書の言葉だから
人生を苦しめるのはおかしいとおもうわけですが
それでは、なぜこうなるのか聖句にさかのぼり
正しい解釈をさぐると
このマタイ6:33が語れらた文脈は
イエス様がモーセの律法をユダヤ人に対して正しく解説しているところであること
から、第一義的にはモーセの律法下におかれたユダヤ人に対して語れた
メッセージであって、それを理解した上で神の国を解釈しなくてはなりません
つまり、使途の2章ペンテコステの教会誕生以前のメッセージなので
マタイ6:33の神の国を教会のスケジュールと置き換えるのは解釈に問題があります
更に、礼拝は日曜日としていて日曜日にコミットしていたわけですが
礼拝は日曜日にしなければいけないという聖書の教えはありません
定期的に集まりなさいというだけのもので、何曜日でも大丈夫です
つまり、熱心な信仰とおもって
転職を繰り返し、苦労していても
実のところは、正しい聖書の解釈から出たもではなく
信徒を教会に縛る為に、指導者が拡大解釈して
つくった人間的な口伝律法であったという訳です
カルト化した教会では
自分で聖書を解釈する力や意志が無いため
霊的盲人にたとえられています(マタイ23章)