使徒11:26 ”このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。”
まず文脈ですが、10章で初めて異邦人が救われたことをルカは記載しました。
11章でペテロによってそのことがエルサレム教会に報告されました。さらに11章で迫害によって異邦人への伝道の広がりが起こり、ついにシリアのアンティオキアに初めての異邦人の地の教会が設立されました
このアンティオキアとローマの教会は初代教会の異邦人伝道の重要拠点となります
そのアンティオキアにて弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになったと書かれています。キリスト者(クリスチャン)と呼ばれたのは主に異邦人の弟子たちでした。
ルカは異邦人世界への福音の拡大、異邦人の弟子の増加を記載しているものと思われます。
補足・・信仰を持たない外部の人達がキリストの弟子たちに対して、そういう呼び名をつけていたというものです 影響が大きくて、今で言うとニュースになったということです
東京キリストの教会の弟子の勉強でこの聖句を引用しますが
特に文脈はなしで:26を切り取り
弟子=クリスチャンと教えます
現代の一般的なクリスチャンのイメージを払拭し
聖書にはクリスチャンより弟子と書かれていることを強調します
微妙にちょっと、正解ともいえますが、
ニュアンスとしては、意図的に一般的なクリスチャンのイメージをちょっと下に見せるような感じで、弟子に力強さを与えていたように思われます
一般的な日本人無神論者やキリスト教の背景のないひとにとっては
へーそうなんだ、ぐらいでしょうが、元々クリスチャンの信仰者にとっては
そうではなくなります。
ルーツはボストンムーブメントで、キリスト教の国アメリカにあります
私も短期間ですがアメリカのこの教会にいたことがありますが
伝道されて礼拝に来る方の多くは自分はクリスチャンだと思っている人でした
その自称クリスチャンにこの弟子の勉強を勧め、
弟子は人をとる漁師で伝道をする、弟子は互いに愛し合う、弟子は自分を捨て日々十字架を負う、自分の命であろうともこれを憎まないなら弟子ではない
など弟子の条件を学ぶわけですが
最後にあなたは弟子ですか?と質問します
そこで、「はい」と答えられる人はなかなかいません
弟子でないならクリスチャンではないですね
クリスチャンでないなら、救われてないということになりませんか、、、?
弟子=クリスチャン=油注がれた者=救われたもの
という独自の口伝律法を突き付けられることになり
あなたは今闇にいますよ!となります
これが、神様に対して誠実でありたいと思う気持ちからか、ギクッとくることが多く
キリスト教の背景を持つ国で急成長をしてきました
その中には、信じていてすでに救われていた人もいれば
ほんとに救われていなかった人もいたでしょう
ですが、問題なのは解釈にあります
またしても弟子の条件が救いの条件へとすり替えられていることです
あなた弟子ですか?
と質問することを
例えるならば、あなた親孝行ですか?と質問受けることとおなじです
ほとんどの人が「いいえ」と答えるでしょう
「いいえ」と答えた人は、即時に親子の縁が切られて戸籍から抜かれることになるでしょうか?そんなことは一般にはありません そんなこと誰でも知っています
ところが、切り取られた11:26を見せられ聖書に書いてあるよと言われ、心のなかで自分はクリスチャンなのに罪があり罪悪感がある とかなると
そーかなー、、となってしまうのです ルカは神の霊感によって救いの吟味を目的としてかいたのでしょうか?違うと思います
再度、弟子の条件は救いの条件ではありません。
あなたは弟子ですか?と聞かれれば
「はい」こんな私でも恵みによってキリストの弟子です!と言っていいんです
あなたが選んだのではなくて、イエス様があなたを選んだのだから。