ガラテヤ人への手紙から 5の3

ガラテヤ3:6から22に救われる(義とされる・罪赦される・神との関係の回復)原則があると書きましたが、パウロは信仰の父である、アブラハムを引用し異邦人であるガラテヤ人(ユダヤ的背景の無い)に解説を始めます。

ガラテヤ3:7 だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。9 それで信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。

創世記12章~15章にある

神とアブラハムが交わした約束で、

アブラハム契約と呼ばれるものですが、これを引用しています。

創世記の文脈から3章~11章までのアブラハム登場以前は

神様は全人類に対して語りかけていますが

人類は不信仰によって、その声に耳を傾けることなく、バベルの塔を最後に散らされてしまいます

それから神様は全人類にではなく、

一人の人を選び,たて上げて神様の計画を進められます

それが12章から始まるアブラム(アブラハム)との歩みとなる訳です

その歩み初めにおいて、神様はアブラハムと約束を交わし、それを基に計画を進められるわけですが、この約束、アブラハム契約と呼ばれるものは、文法的には現在形のもので

12章1節から、今日の私達、また終末論に至るまで続く契約です

ですから、今日、福音を信じて信仰と恵みによって義とされるということは、

ガラテヤ3:7~9にあるように、アブラハムと神様が結ばれた契約が信仰によって

私達にも適用されて、祝福に預かることが出来る恵みを受けることになると

パウロは伝えてくれています。

アブラハム契約についてですが、3つの中心的な条項があります。

①子孫の約束

➁土地(カナンの地)の約束

③祝福(地上の諸民族の祝福)の約束

この3つの約束はアブラハムですべて成就するものではなく発展します

①子孫の約束は→1歴代誌17:10~14のダビデ契約・キリスト・イエスの誕生

➁土地の約束は→申命記29:1~30:20土地の契約
③祝福の約束は→エレミヤ31:31~34、ルカ22:20新しい契約(罪の赦しと聖霊

(これらのことからアブラハム契約は聖書全体を貫く背骨のようだと言われています。)

ガラテヤ3:14

アブラハムに与えられた祝福→キリスト・イエスによって→異邦人にまで及び→約束されたれた御霊を受ける

このことは、アブラハム契約の祝福が発展した新しい契約(イエス様が十字架で成し遂げて下さったもの)を私達が信仰によって受けたことを伝えてくれています

つまり、信仰によって義とされた者は神様と契約関係にあることになります。

パウロはさらにガラテヤ3:15~22において、モーセの律法(シナイ契約)とアブラハム契約をとりあげて、アブラハム契約が本筋の契約であることを述べた後、ガラテヤ3:20においてアブラハム契約の性質を解説しています。 

シナイ契約は仲介者(天使たち、使徒7:38、ヘブル2:2)を介して、イスラエルの民が当事者としてその内容に同意して神様とこの契約を結んでいます。契約形態は双務契約(当事者の双方が互いに対価的な債務を負担する契約)になり、イスラエルの民の律法違反はそのまま契約違反となります。(ガラテヤ3:10~13)

しかし、アブラハム契約では

:20、約束の場合、神は一人で事を運ばれたのです。”(ここは新共同訳が明確)

とかいてありますが、この箇所は創世記15章において、12章から語られた約束が正式に結ばれた場面の描写がされています。当時のパレスチナで行われていた契約には幾つかの種類がありました。手の契約、塩の契約、靴の契約などありましたが、神様はその中で最も重い契約を選ばれました、それが血の契約と呼ばれるもので、(創15:9,10)引き裂いた動物を向かいあわせにし、その間を双方が通り抜けて結ばれる契約で、もしこの契約に違反を犯すなら、この引き裂いた動物のようになって、血をながしてもいいと言う誓いをたてるものです。ところが、その契約締結時にアブラハムは眠りのなかにあって、神だけがその引き裂かれた動物の間を通り過ぎ、神だけが当事者となられました。ゆえに、アブラハム及びイスラエルの民の違反がこの契約に影響を及ぼすことがないことになります。神はアブラハム契約を仲介者のいらない、通常ではありえない、片方だけが債務を負う、片務契約として締結してくださいました。つまり、神様だけが血の契約の責任を取ってくださったにもかかわらず、罪人が自分も何か責任を取りますと言う事は無意味な事となり、救いは我々には条件の無い、片務契約=無条件契約なのだから、救われるために、○○しなくてはならないということは神様の意に反するとパウロは解説してくれています。

片務契約の故に、イエス様自らが、引き裂かれた動物のごとく血を流され、一方的に、本来は架かる必要のない十字架において、人の罪の代価の為に、御自分を捧げて死んで下さり、復活し、新しい契約を結んでくださいました。

無条件の愛はこの契約の基にあります。

ヨハネ1:14 言は肉となって、私達の間に宿られた。私達はその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。

”恵み”はヘブル語でヘセッドで、

契約への忠実さ・契約に基づく愛、の意味

信仰と恵みによってのみ救われる。

信じるだけ、と私達には、簡単なことのようですが

その裏で神様は本当に優しい。