最初の動機は良かった

パリサイ派の口伝律法の始まりは

バビロン捕囚からの帰還

エズラまでさかのぼることになります

イスラエルの民はバビロン捕囚にあいました

神の裁きを受けたことになります

捕囚の地で祭司エズラ

イスラエルが裁きを受けたのは

モーセの律法を守らなかった

ことに訳を見出し

カナンに帰還後、モーセの律法を研究し回帰することを

行いました。

イスラエル再建に大きく貢献しました。

この悔い改めはすばらしかったが

この後、イエス様が来られるまでの400~500年の間に

モーセの律法を守るために考えられた律法

モーセの律法を破らないための律法

これら口伝律法

を作り続けてしまい

本来のモーセの律法よりも権威を持つようになり

モーセの律法がどのようなものであったか

見えなくなっていました。

例えば、安息日を守るという

1つのモーセの律法に対して

およそ1500もの口伝律法がぶら下がっていたと言われます

福音書安息日の論争はこれらにあたります

エズラ記 - ハーベスト・タイム・メッセージステーション

 

東京キリストの教会で唯一この

口伝律法の話を聞いたのは

十字架の勉強でイエス様への40回のむち打ちが間違えないように

39回だったこと このエピソードだけでした。