この教会の聖書の教義・解釈に疑問を持ち始めたきっかけ

以前に書いたように

東京キリストの教会は口伝律法だらけだ

ということがわかり始め

日曜日の説教や聖書勉強の中で

正しい解釈と口伝律法を選別していました。

そのさなか、ローマ書の学びにおいて

9章~11章にユダヤ人についてパウロが語っていますが

特に10章あたりで

ユダヤ人が拒否した理由について

項目をあげて解説してあります

神の義、救いを受ける人、伝道の必要性

これらが解釈からずれて

”ぼたんを掛け違い”している状態にある

だからユダヤ人は拒否してしまっていると

いう学びでした

この ボタンの掛け違い という状態

誤ってズレてシャツのボタンを掛けてしまっているために

途中で分からないにしても、上からかけていき最後には

ズレに気づくことになる

これは聖書解釈を間違っている状態に似ていると思いました。

数々のボタンがありそれらは

エス様が神、祈り、伝道、悔い改めなどなど

掛け違いしていてもそれらは聖書的に正しいことなので

ズレに気付かなかった

ところが、実際の信仰生活、教会生活には明らかに

疑問におもうことがある

ボタンを掛け違えしていると感じる

熱心にやってきたつもりが、沢山の人を傷つけてしっまている

教会はカルト化している、、、

そこで私は、掛け違えたボタンを下から上に正していく

作業が必要だと感じました

どのボタンを掛け違えたのか

どこの聖書解釈が間違っているのかを

調べようとはじめました。

これが東京キリストの教会はちょっとやり過ぎたけど

正しい教会だ という思いから

やりすぎではなく、そもそも聖書解釈に間違いがある教会かもしれないと

思い始めたきっかけです。