カルト的教会か?と迷っているとき

第二テモテ3:16

聖書はすべて神の霊感によりもので、、、

カルト的教会であっても、この聖句を信じています。

そのことから、とにかく聖書に書いてあるんだから従いなさい

と、話が進み自分で考え判断することから遠ざかり

みんなと同じ一致すことに心がスライドしてカルト的信仰へと

発展してしまったなと私は思います。

では、どのようにして指導者や教会の教義が

正しい神の霊感の解釈、解き明かしなのか

判断すればよいのか?

私が非常に助けられたのは

【文脈】で聖書を読むという事でした

小説を例にとると

最初の言葉から、最後の締めくくりまですべてに

著者の意思が働いています

もし、誰かが勝手に好きな文章だけ抜粋したり、文章を入れ替えたりして

出版したらその小説は当然その著者のもではありません

同様に聖書も66書40名ほどの著者がおります

神の霊感(御心)を知りたいと思い聖書を読むならば

その著者の意思に神の霊感が働いている訳なので

その意思をくみ取るように、文脈を意識して読むこと

が大切と思います

ヨハネにはヨハネの文脈があり

また、創世記から黙示録までの聖書全体の文脈があり

それらは一貫しています、なぜなら神の霊感は一つだからです

それとは対照的に東京キリストの教会では

おみくじ的な読み方だと思います

くじを引くように聖句を選び、断片的に解釈するものです

文脈を無視して、聖句のぶつ切りでした

文脈を無視するということは

神の霊感を無視することになり

人間的な考えが説かれていくことになります。

説教にしてもまず言いたいことが決まっていて

そこに聖句を張り付けていくようなものが主流だったように記憶しています

教会の教えが正しい解釈かどうかを見極めるには

文脈を読み込める力が成長していく時に見極めも

ともなってくると思います

時間はかかりますが私は講解説教によって1章から順序だてて学べたことが

その助けになりました。

 

辞書には文脈とは

文章の中での文の続きぐあい。また、文の中での語の続きぐあい。 「文脈をたどる」

「前後の文脈から意味を判断する」  一般に、すじみち・脈絡。また、ある事柄の背景や周辺の状況。 とあります