2000年前のユダヤにおける洗礼(バプテスマ)は
全ての福音書に登場する洗礼者ヨハネのところから
基本概念が学べると思います。
(マタイ3章、マルコ1章、ルカ3章、ヨハネ1章)
バプテスマの語源はイマース(沈める)
赤い水の中に白い布を沈め、取り出すと赤く染まる
ということから、一体化、同意する、という意味合いを持ちます。
人々が集まり、洗礼者ヨハネのメッセージに同意したという意味合いを
証するしるしとして、洗礼者ヨハネにつく洗礼を受けたということです。
この場面では、人々はこれまでのパリサイ的ユダヤ教から、400年ぶりに最後の預言者 洗礼者ヨハネから語られた神の言葉に悔い改めた(原語的に正しくは、方向転換した)
イエス様も洗礼を受けられましたが洗礼者ヨハネに働く神の霊感と
一体だと表現されたことと思います。
私が一番なるほどと思った聖句は
ヘブライ人の手紙6:1のなかに
”種々の洗礼についての教え、”ということが当時のユダヤ人むけに
使われていたと言うことです。
要するにイエス様が来られたイスラエルには色々な洗礼があったといえます。
当時、異邦人がユダヤ教に改心する際に洗礼を受けました。
パリサイ人は自宅に洗礼槽を持つ者もあり儀式的汚れを清めるために洗礼を行っていました。など
それらを区別するために、十字架と復活以降の時代は
”父・子・聖霊のみ名によって ”同じ意味ですが”イエスのみ名によって”
洗礼を行うことになります。
現代のような、洗礼が(カトリック的)一般にクリスチャンのものとして
イメージされるようになったのは
3世紀ころローマカトリックになり国教となりキリスト教の環境からユダヤ人の迫害と追放が始まりユダヤ的なものが排除され異邦人的に独自に発展したことが原因ではないかと言われています。
私なりの頑張って考えた例話
”お寿司が世界的に広がりをもちはじめ
本部をボストンに置くこととなり
アメリカ人会長がお寿司業界から日本人を除外することを決定
その後、あがりはグリーンティになり、むらさきはキッコーマンになり
おあいそはスマイルになっていった。”
厳しいかな(T.T)