仮に、もし誰かが1コリント15章を読み、福音を信じて
この教会へ足を運び、「私はクリスチャンです」と言ったとします
以前の私もそうでしたが、う-んどうかな、、、違うんじゃないかなと渋い感じに、、
逆に、「弟子ですか?」
意味分かってます?と上から質問したくなってました。
クリスチャン=キリストの弟子=救われている
この東京キリストの教会的口伝律法があるからです。
これは、訪問者が聖書の勉強をはじめて、教会メンバーになるプロセスの
入口です、後にじわじわと自力で頑張るクリスチャンとなりカルト化する
聖書解釈の問題点と私は考えます。
その後、もろもろのプロセスがあり
洗礼を(浸礼)を受けて「水に浸かり、出てきた瞬間に、救われました。」と
なります。
なので洗礼が出口となります。
間違った解釈における、もう一つ別の福音(ガラテヤ1:7)とよぶべき
救いの入口と出口と私は考えます。残念ながら、、、